鬼に対する憐れみの描かれ方がずっと引っかかってたのだけどようやく違和感の正体に気づいた。
自己批判がないんだこの作品。
炭治郎が鬼を殺すことは常に正当化されていて鬼の立場に立った物の見方は一切描かれない。
鬼の中でも禰豆子など人間に与する鬼のみが許容されて他はすべて殺すべき対象以外の何物でもない。
だから投げかけられる憐れみもただの自己満足にしか見えない。
このわかりやすさが受けたってのも理解できるのだけど作品の持つ厳しさには共感できない。
妹が鬼になった経緯を知っているからこそ炭治郎が鬼との共存を図る道を模索することはあり得なかったんだろうか。