竜とそばかすの姫

「正義」の暴走、炎上という名の吊し上げ、「特定」文化。

今のネットのいいとこも悪いとこも色濃く反映された作品だったけど、SNSの息苦しさを肌で知る身としてはどうしても悪いところに目が行きがちだった。

数の暴力であったりアンヴェイルを通じて描かれる「特定」行為であったり、竜に対する攻撃を通じて浮き彫りにされるのはツイッターのクソッタレな日常風景で、そこに加害者たちに対する強い批判が感じられた。

その上で終盤すずは自ら仮面を取り去って、恵の父親(=ジャスティン)の「正義」に決して屈さない姿を見せるのだけど、ここは何を表していたんだろうか。

単純に子どもを守る自己犠牲的な母親像を描くことだけが目的だったんだろうか。

すずが亡き母と同じ道を歩む姿は回想の挿入を通じて明示的に描かれているのだけど、こうした点から本作では分かりやすさを意識していることも窺えた。

未来のミライ』の反省もあったのか。そこはわからないけど一方で勧善懲悪的だったりちょっと単純化しすぎてる嫌いもあった。

それでも竜の正体探しを軸にしたストーリー展開は巧みなものだったし、その正体にも驚かされた。

竜がUの陰謀を暴いていく方向に大きく話が広がっていくのかと思いきやごく個人的な物語に収束していく。

突然描かれる虐待という強烈な「現実」にはガツンと頭を殴られるようなショックがあり、ネットの向こう側には生身の人間がいる。そんなことを強調しているのだと最初は思った。

が、インタビューを読んでいくと、陽の当たらない人たちにエールを送りたいといった事が語られていて、それを読んだら作品そのものの見方が全然違うものになり、その点が一番のメッセージだったんだなと。

現実の竜は物凄く弱い存在だし、すずにしてもなんでもない存在で、そういう人たちにスポットを当てること自体日陰者たちに向けた愛情として捉えられる。

あるいはなぜすずの犬の前足は欠損しているのか、なぜ恵の弟知がASのように描かれていたのか。

疑問だった全ては弱者や少数者への暖かな視座が根っこにあると分かって、俄然細田守という作家が好きになってしまった。

またそうしたなんでもない存在が誰かになれる場所としてもUは描かれていて、一方でそこにはネットのポジティブな側面が最大限表現されていた。

Uに入るためのデバイスそのものが科学技術への夢を感じさせるものだし、Uという空間もとてもきらびやかで楽しげに描かれている。

インタビューでは映画でネットをこんなポジティブに描いてるのは自分くらいなんてことも語っていたけど、言われてみるとそうかもしれない。

歌が主題になっているだけあって楽曲もとても素晴らしい作品だった。

今回のヒットはCMでバンバン流されてた主題歌の力によるところも大きいんじゃないかとさえ思う。