子供が死ぬということ

昨日は普通に書き忘れてしまった。と思ったらおとといも書き忘れてるやないか!

スーパーで食中毒が発生し3歳の女の子が亡くなったとかで、しかも近所のスーパーの系列店という事もあり考えさせられていた。
自分の子供を失うなんて絶望でしかない。
身体の一部がもがれたような思いだろう。
手足を失った事を忘れる人間などいないように、死ぬまで子供の死を根本的には受け入れられないのだ。
意識の一部分は永久に子供がいなくなった日のままで、ただただ空虚であり続ける。
その部分に触れる時、現在という時を忘れて心は過去へと立ち帰る。
けれども再び現在に戻ると、虚しさが心を包む。
それが辛くて嫌で見まいと振り払おうとしても決して消えることのない部分。
そんな苦しみを植え付けた人間の罪は相当に重い。
だがそんな事件があった事など世間ではすぐに忘れ去られ、
恐らく食品管理に携わっていた当人たちのほとんどの記憶からすら消えてしまうんじゃないだろうか。
そうして似たような事件が再発、などという事にならない為にも当局にはしっかり規制してほしいと思った。