諦め方を覚えていく

1回目2回目と書いた段階で、早くも日記に対する情熱が冷めてしまった。
不完全恐怖の症状がイマイチ伝わりにくい気がしたので自分の症例を交えながら解説してみようとか、
自分が嫌だと感じることをあえてすることが治療につながるのではないかといったテーマも浮かんではいたのだけど、
やはり意欲の賞味期限というのは短いもので、1週間も経ったら今はもう解説だの説明だの億劫で仕方がない。
とは言え、「to-doタイム」が延びる週1回くらいはなんか書いておくと、
考えの整理や確認につながってよろしいように思い、散漫にでも感じたことは書き留めていくことにしたい。

「to-doタイム」が2時間に到達

1日2時間はデカい。
実際「to-doタイム」を過ごしてる中で長いなと感じるようになってきたし、
キビキビ動いてないとといつの間にか寝る時間を迎えてたりして、だいぶカツカツ感がある。
今までみたいにだらーっとしてられる時間はかなり減ったし、寝坊することもなかなかできない。
結果的に時間は無駄にできないと意識づけされることで、好循環を生み出してはいるのだけど、
ゆとりはゆとりで欲しいなあという思いもある。
また、どこかから時間を持ってこれないか、強迫行為に無駄に割いてる時間はないかという意識も働き、
強迫行為へのチェックにも少しはなっているようにも思う。
もう1ヶ月経って3時間まで延びた時、自分が更にどう対応・変化していくのかは少し興味深い。

HDDの容量が限界を迎える

今までは少しでも見たいと思う番組はできる限り見てたのだけど、これ以上HDDは増やせないので、
ここからはもう見てない番組でもガンガン消していかないと録画に追いつかなくなる状況に。
番組を諦めていくのはもうちょっと先延ばしできると思ってただけに焦って選別を始めたのだけど、
いざ仕分けていってみると案外にスイスイと作業は進んだし、消す番組も結構な量に上り、
諦めようと思えばあまり抵抗なく諦められてしまう自分が少し意外だった。
見たい気持ちも嘘ではない一方で、いかに強迫観念や惰性が動機になってたかとも言えるのかもしれない。
そしてこの「見てないけど消す」という重要な一歩をスムースに上れたことで、
このまま録画への強迫観念からすんなりと自分を解放していけんじゃないかとさえ感じている。
ちなみに今は分けただけで消せてまではいないので、消せた段階でまた一段階段を上ることができそうだ。