不完全恐怖の行動療法

強迫性障害(OCD)の根深さ

前回は、自分が不完全恐怖で、録画したものを見ることがやめられず、それに1日何時間も費やしているためにやりたいことも出来ないような状態になっているといったことを書いた。
じゃあこれをどう治療していくのかということを今日は書いていきたい。
OCDを考える上で非常に参考になった本がある。

ノンアフィリエイトリンク
この本はいわゆる入門書というか、OCDの概要から症例、治療法まで分かりやすくまとめられているのだが、特に治療法に関する知見はかなり役に立った。
薬物療法についての説明もあるのだが、主に行動療法にフォーカスしていて、それを症例別に解説する形で構成されている。
ただ、不完全恐怖については症例数が相対的に少ないのか、実は簡単にしか解説されていない。
とは言っても、基本的なアプローチはどんな症例でも同じで、それは嫌なこと、恐れていることをあえてやるというものだ。
どういうことかというと、例えば潔癖症患者であれば極端に汚れを忌避してしまうわけだが、そうした汚いと感じるものにあえて触れてしまおうということだ。
最初は平気で触れるものから、それがクリアできたらそれよりも汚いと感じるものに触るよう努め、それもクリア出来たら……といった具合に段々とステップアップさせていく。
その過程で自分が汚くてどうしようもないと思っていたものが案外大したものではなかったと認識できるようになっていけば治療は成功となる。
もちろんそう簡単にいくかというと重症度にもよってくるのではないかと個人的には思う。
僕自身の場合で言えば、この恐れていること、嫌なことをあえて行うアプローチを取り入れることで、寛解した部分はかなり大きい。
ただ、とはいえ、未だにこうして録画に縛られているわけで、治るところまではいかなかったのも事実ではある。
というより、不完全恐怖というのは体を洗う順番から洗い物、音楽の聞き方から何から何まで生活全般に染み渡っていて、
その中で「完全さ」を諦められるものから段々に諦めていったのだが、録画に関してはラスボスというか聖域というか一番手をつけにくいカテゴリーに属し、その時の治療ではそこまでは踏み込めなかったのだ。
しかしもう、俺はもっとやりたいことがあるんだ!といい加減我慢も限界に達し、録画をなんとかしようと今年に入って思い立ち、現在に至るという感じだ。
じゃあ録画したものへの強迫観念に対して改めてどうアプローチを取っていくのか。
思い切って次の瞬間から録画をやめて、見るのも一切やめるということも出来なくはないだろう。
が、これの問題点として、OCDの根本的解決とはならない可能性がある。
むしろ経験上これは間違いなさそうで、今のように録画にこだわる以前も様々な形で強迫行為を取っていたのだが、ある日強迫行為の苦しさがピークに達して急にスッパリやめてしまうことがこれまでにも何度かあった。
が、結局時間が経つと強迫行為は別の対象で発現し、現在の録画への固執もその一環でしか無いのだ。
おそらく強迫行為をしないことは大した問題じゃないという納得や認識こそが重要で、無理矢理やめても心の底から諦められてないから再発してしまうのかもしれない。
だからこそやはり段階的に諦めていく漸進性というのが治療においては肝要になってくるのだろう。
時間をかけて録画を見る時間を徐々に減らしていき、その過程で本当に見たいと思うもの以外は諦めてゆく「諦め方」を覚えるという作業が。

パラドキシカルなアプローチ

けれども最終的に録画は諦められても、不完全恐怖が別の形で発再発する可能性は否定できないだろう。
一説によるとOCDは完治不可能だと言われているということもある。
それらに総合的に対処するために、あるアプローチ方法にたどり着いた。
録画を見る時間そのものを減らすのではなく、今自分がやるべきこと、やりたいことは何かを考えた上で行動するいわば「to-doタイム」を増やしていくというものだ。
どういうことかというと、1日15分くらいから「to-doタイム」を設けて、それを毎週15分ずつ延ばしていく。
そうすると1ヶ月で1時間、3ヶ月で3時間、1年で12時間と「to-doタイム」が増えていき、結果的に録画始め強迫行為に費やす時間は徐々に圧迫されていく。
その中で録画の「諦め方」を覚えていけるだろうし、一方で別の形で強迫行為が発現するとすれば「to-doタイム」がその対象になってくる。
1日○時間は「to-doタイム」にしなきゃダメという形で。
だが「to-doタイム」が強迫化したとしても、やるべきこと、やりたいことを優先させることが真の目的なわけで強迫行為が逆に目的を達成させてしまうというわけだ。
まあここまでうまくいくかはまだ分からないし、既に疑問点も浮かんではいるのだが、やってみる価値は十二分にあるだろう。
そして既に先月から始めていて、「to-doタイム」を1日15分設けたところから現在1時間半というところまで来ている。
で、うまくいっているのかだが、1時間くらいに延びたところで早速マズい点が見つかり、現在はそれを修正した段階だ。
最初は1日のどこでもいいから「to-doタイム」を設けるという形でスタートさせたのだが、このどこでもいいというのが問題で15分ならたしかにそれは可能だったのだが、時間が延びるにつれ難しくなっていくことに気づいた。
これはOCDに限った話ではないが、1日の予定の中に1時間というまとまった時間を新しく作るのは誰でも難しいわけだ。
明日から1日1時間の自主的な運動を予定に組み入れようと決めても、ほとんどの人が継続させていけないように。
その結果として「to-doタイム」は後回しにして録画を見ることを始め強迫行為が優先されてしまい、次第に「to-doタイム」を諦めるという日すら増えるようになっていってしまった。
これでは治療にならないと思い、考えた結果「to-doタイム」を1日の最優先事項に持ってくることにした。
朝食を食べた後の1時間半は「to-doタイム」に当て、残りはもう好きに強迫行為に溺れるでも何でもしてくださいといった感じだ。
この修正プログラムはまだ始めてから2日目で、実際に今「to-doタイム」を利用してこれを書いているのだが、とりあえず1週間ほど様子を見てみたいと思っている。