泣きたい私は猫をかぶる

11:24 起床

めんどくさくて感想に手がつかねえで2日間ずーっとダラダラしていた。

結局アニメの感想が重しになってしまってるなあ。

というか日記もそうなんだけど、ただ書き殴ってただけのはずがちゃんと書きたいって意識が出てきちゃって、また勉強の妨げになってきてるところがある。

ネットに公開してる以上自然とそうなってっちゃうってのもある。

とは言えあまりに支障になり過ぎてるし、また書き殴りスタイルに戻ろう。

勉強にしてももっと生活の中での優先度を上げていかなきゃダメだとは考えていて、勉強と感想と両立できないようなら日記ごとやめてしまおうと考えている。

2:31 泣きたい私は猫をかぶる

衝動的なヒロインにディスコミュニケーション岡田麿里らしい作品だなあと思った。

話し作りの巧みさは相変わらずでグイグイと引き込まれるものがあったけど、猫の世界に行ってお面屋を派手なアクションでぶっ飛ばすという終わり方は、それまでの登場人物の内面を丁寧に描き出すような内容と比較すると、なんだか大味なものがあった。

猫から人間に戻れなくなり、更には肉体までも奪われて徐々に猫化していく恐怖。

ホラーっぽくなってしまうと行き過ぎだけど、そういう心理的な恐怖を軸にしたストーリーの方がよりマッチしていたのかなと。

完全に猫化してしまったムゲが周囲の、あるいは日之出の働きかけによって人間としての自分を取り戻す。

もしそんな脚本であったなら、世界に対して閉じていくムゲの心、そして世界に対してより大きく開きだす心というものが一層よく表現できたんではないだろうか。

ラストがまた岡田麿里らしくディスコミュニケーションの解消、つまり周囲との軋轢の解消という形で終わるんだけど、この辺りは二人だけの閉じた世界を描いた「天気の子」に対する一つのアンサーだったのかなあとも思った。

ムゲが猫になるまでの過程を時系列で描かず、あまつさえお面屋と契約したシーンというのは一切描かれてないのにもかかわらず自然と物語が理解できるようになってたのはストーリー構成に円熟味を感じた。

作画的にはそこまで目を引くところはなかったかなあ。

猫の動きなんかも丁寧に描いてはいたけど、めちゃくちゃ写実的ということもなく。

ただどことなくフェティッシュな演出ではあった。この辺は誰かの趣味だったんだろ。

志田未来の芝居も素晴らしく、ムゲが日之出に何か嬉しいことを言われて家で感情を爆発させるシーンがあったんだけど、そこでの感情表現がめちゃくちゃ上手かったのが特に印象に残っている。

というかそこに限らず感情表現のうまさってのは全体を通して感じた。