今日、犬が死んで僕に意味を与えた

「モク」という名の雄のヨークシャー・テリアだった。
13年間、共に生きた。
死んだその時は、いつもと同じように寝てるとしか思えず、ほとんど実感がなかった。
それからすぐして目や口の周り、口の中、体全体を清めてやったが、そこにあまり悲しさはなく作業的ですらあった。
家族も、悲しみを覚えながらも、いつもの朝と変わらずに、食事をして家事をして、笑いすらあった。そしてみな仕事へと向かった。
僕はといえば、4時間程度しか寝てなかったのでもう一度寝た。
そのあとご飯も食べたし、映画もちょっと見た。猫ともいつも通り戯れた。
だが僕と同じように、誰もがえも言われぬ喪失感を抱えていたと思う。
いつも通りに過ごしているのに、常にどこかに空虚さが感じられる。
それは寝ようとしてる時も寝てる時も変わらず、起きても変わらなかった。
起きるとモクは和室に移動していて、その前には線香が供えられていた。
和室の襖を閉め切ってようやくふたりきりになると(猫もいたが)、とめどなく涙が溢れてきた。
けれども何が悲しいのかよくわからなかった。それでも涙は溢れ続けた。
それから後、モクとの記録を残そうと昨日のことを思い出していたらまた涙が止まらなくなった。
昨日までは動き鳴いていたのに、僕の頭の中のモクは今もそうしているのに、今日はもう動かないのだ。
それを理解した途端、どうしようもなく悲しくなって泣いた。そしてようやく死への実感が湧いたように思った。


遺体を前にして、もっと大切にしてやればとか、これを機に頑張ろうなどとみな口々に言うが、
結局はすぐにそれほど頑張らなくなるし、芽生えたはずの周りへの配慮もなくなっていき、そして死んだ者も風化していく。
僕にとって誰かの死とはいつもそんな風に、辛く悲しいだけでなく、寂しく虚しいものだという認識でしかなかった。
今回も死の近づきを感じたとき、同じような思いを抱いた。
だからといって悔やまないわけがない。
もっとお金があれば、もっと知識があれば、もっと心の余裕があれば、僕にそうした「力」があれば1年も2年も長生きできたかもしれないし、何倍もの幸せを与えられたかもしれない。
けれども何一つとして十分になかった僕は、最低限の世話しかできず、そればかりか苛烈に当たってしまうことすらあった。
そんな悔しい思いを深く噛みしめていると、今回はそうした感情が一時的なものにならず、ある考えに行き着いた。
自分にもっと力があったらということは、つまり自分の努力が愛する者の幸福につながっているのではないかと。
僕が「力」をつけることでモクは苦しまず、それどころかもっと幸せになれたかもしれない。
ならばそれはモク以外の、今も生き続ける周りの人々に対しても同じことなんじゃないか。
僕が努力することで愛する誰かの幸せにつながり、それどころか苦しみすら喜びに変えてしまうかもしれないのだ。
なんか凄く嬉しいことじゃないか。なぜかと言われてもわからない。嬉しいから嬉しいのだ。
昔から好きな誰かの笑顔、喜ぶ顔を見るのは好きだったが、例えばそれを生き甲斐にするとかそれほどのものだとは思っていなかった。
だが、今回モクの死に直面して、悔しさを覚えて、自分の努力が愛する者の幸福に直結してるのだと考えたら非常な充足感に包まれた。
もしかしたら僕が1日努力したところで愛する誰かの1秒分の幸せにしかならないのかもしれない。
それでも1秒でも多く愛している者の喜ぶ姿が見られるのは僕としてはこの上なく嬉しいのだ。
そしてもうひとつ気づいたことがある。
僕は再来年の1月の段階で生計の立つ見込みがなければ死ぬつもりだった。
夢を叶えるには不可能といえるほどの努力を要求されるし、それを諦めたところでこれから何十年も働いていく気にはなれない。
そんな辛いだけな上に、無様に生にしがみつくくらいならいっそ切りよくそこで死んでしまおうと考えていた。
しかしモクが死んで分かった。愛する者というのはただ生きてくれているだけで幸せなのだ。
愛というのは共依存だともいえる。
愛すること・愛されることの両方の行為で自己の存在を確認する。
だから僕は生きていていいのだ。生きているだけでいいのだ。
それだけで僕を愛する者は幸せを感じられる。
その上で努力を重ねれば、更に多くの幸せを、あるいは更に多くの者を幸せにできるかもしれない。
もちろん過ちによって逆に不幸を与えることもあるだろう。
また、努力が人の幸福になるだなんて大言壮語はすぐにどこかにいってしまい、それほど懸命には生きられないかもしれない。
だけども、僕の生が愛する者の幸福につながっているのだと確信できた今、もう僕は自殺など考えない。


モク、少しわがままで、ずる賢くも阿呆な君が僕に生きる意味を与えてくれるとはつゆほど思っていなかった。
この思いが君の生きた証だったのだと誇れるような生き方をしたいと思う。
ありがとう。さようなら。