声が届いた日

OCDが原因で無気力になってしまうという事をこれまでにも何度か書いた気がする。
物事が予定通りに進まなくなるや否や萎えてなんもする気が無くなってしまうというもの。
中途半端に物事に向き合うのがどうしても不快というか、
中途半端に向き合ってはいけないという強迫観念があると言っていいんだろう。
最近について言えば、
開発を途中でサボってしまう→予定通りにいかなくなった→何もしたくなくなる
というパターンに数え切れないほど陥っている。
昨日の話にもつながるのだけど、予定がもう少し緩ければここまではひどくなかったのかもしれない。
今よりは予定通りに物事を進められてただろうから。
ただそれでも予定通りに進められなければ無気力になっていただろうし根本的な原因だったとは言えない。
OCD自体はだいぶ寛解したのだけれど、この良くない性質だけは根強く残り続けている。
この性質の意味するところは何も継続できない、つまり何も達成できないということだ。
実際そんなような形でこの30年を過ごしてきた。
中途半端に前に進むくらいなら何もしたくないと。
だから僕はこの歳になるのに本当に何も無い。
それが先日突然、ともかく前に進みたいという感情が、欲求が、強く湧き上がってきた。
いやそうした感情や欲求自体は元からずっとあったものだ。
でもそれは強迫観念に抗えるほど強いものではなかった。
それが突然強く高まったのだ。
なぜなんだろうと考えてみたが、もしかすると、今もOCDが寛解し続けているという事なのかもしれない。
自分自身ではもうOCDは8割方は良くなったから今後はもう劇的な変化は訪れないだろうなんて考えていたけど、
実際のところはまだまだ治療の途上でしかなかったと。
そう考えると欲求が強まったのではなくて逆に強迫観念の方が弱まったと言うべきかもしれない。
もちろん強迫観念が綺麗さっぱり消え去ったわけではなく今も中途半端な形で何かをやるという不快さはある。
でもそれ以上に進みたいという気持ちは強くて、中途半端だろうが牛の歩みだろうがどんな形でも進んでいこうと思える自分が今いる。