シャドーハウス #5 “お披露目”

 

焦りからとは言え生き人形らしく振る舞えないエミリコに苛立ちを募らせたのは、ケイトの「やるべきこと」が生き人形の解放ではないってことなんだろうか。

同時にケイトをもじった名前をつけてなかったところに生き人形への考え方も窺えるけど。

名付けもそうだけど性格も似ていたり似ていなかったり、影と生き人形ごとの関係性の差異が浮き彫りになった回でもあった。

一方で全員に共通してるのが一人称で、この辺りどういう意味を持ってくるんだろう。