さよならハープ


ベタなことを言うようですけど、未だにその死を完全には理解できてない部分があります。多分、父のときもそうだったように、ひたすらに長い年月がかかるのだと思います。
誰にでもなついて、決して怒ることの無い、本当にいい子でした。
家に来て1年もする頃には僕と同じくらい体長があったように憶えています。じゃれて飛び掛ってきて、泣いてしまったことがありました。
庭に柿がなると、飛び上がってよく取ろうとしていました。最後の状態を考えると、とても信じられないことです。
それから、何度も引っ越したり、時にはどこかの家に預けられたり、いろいろなところへ行きました。川にも山にも行きました。いっしょに旅行もしました。
そして時が経つにつれ、少しずつ弱りだしました。大好きだった散歩もあまり遠くへは行けなくなり、徐々に歩くペースも落ち、長い時間は行けなくなりました。立ち上がるのが億劫そうになって、なんでもないところで転ぶようになって、ちょっとした段差も上れぬようになって、自力では起き上がれなくなって、下半身を支えてあげないと立つことも出来ぬようになって、最後には寝たきりになってしまいました。それでも散歩にいけることを歩けなくなるその最後のときまで喜んでくれました。先月一緒に散歩できてたなんて信じられないことです。いや元気に食事をしていたすら信じられません。
食べることも大好きでした。本当によく食べました。最後のほうは少しぼけが始まってて、ずっとお腹を空かせているのか、リビングをずっと徘徊して、母によく怒られてましたっけ。寝たきりとなった後もよく食べてくれました。本当に死が近くなると、飲まず食わずになるというけど、そんなことなく最後まで食欲がありました。亡くなる前夜も、大好きな果物を口に持っていってあげると、食べようとしてくれました。結局食べられなかったけど、まだ元気なんだなとそう思わせてくれました。
時にはひどいこともしてしまいました。それでも決して怒ることなく、忠実にいてくれました。本当に健気でした。その中で、謝りたいことはたくさんあります。でも今一番謝りたいのは、最後の最後に、暑い中、日光浴をさせてしまったことです。あの後ぐったりして、そのまま・・・・・・。あれが無ければ、きっともうしばらくは生きられたと思うと、本当に申し訳が立ちません。それでも、あなたは許してくれるのでしょう。とてもとても、僕の知る誰よりも、優しいから。
妹であり、母のような存在でした。決して欠かすことの出来ない、大切な大切な存在でした。
本当にありがとう。そしてさようなら。