イラク歴史紀行 チグリス・ユーフラテス物語

イラクの歴史書が無い!

前回、シュメール文学への第一歩として世界史の学習漫画で通史をマスターしたということで、
ネクストステップのイラク史を学ぼうとどんな本があるのかとアマゾってみたのだけど、イラクの全歴史を描いた本というのがどうも見当たらない。
いやあるにはあるんだけど、僕の求めるイラク成立からずっと以前の古代から現代に至るまでの歴史を網羅した一冊というのは皆無だった。
そもそもイラクの成立は1920年代とだいぶ最近だそうで、まだ建国から100年も経っていない。
そういえば近代に至るまで長らく中東一帯はオスマン帝国が支配していたのだった。
更にオスマン帝国以前も現在のイラク一帯は結構王朝が入れ替わっていたり、大国の一地域でしかない時代が続いてたりしていて、
すごく曖昧な言い方だけどイラクは国家としての「連続性」というのが希薄なのかもしれない。
ちょっと先走るけど、それを裏付けるかのように19世紀の考古学者のこんなエピソードが本書で紹介されている。

ニムルドの遺丘は前に述べたようにアッシュール・ナシルパル王によって大都城として造営されたカルフのことであるが、ニムルドという名前は、アラブ人のいう「邪悪なニムロド」に由来する。イスラム教徒ゆえあらゆる偶像を否定する(ことを定めとする)村人たちは、この丘から時たま見つかる摩訶不思議な像をみるにつけ、この地は何かよからぬ魔性の巣窟となっているのではないかと恐れたのである。

要は偶像崇拝を禁じる現地のイスラム教徒たちは時々見つかる「何か」を邪悪な物だと考えて、
近代に入り列強の考古学者が訪れるまではこれを歴史的な遺物として誰も認知してなかったというわけだ。
時代が時代だし単に知らなかっただけの話じゃないのと思うかもしれないが、
それから1世紀以上かけて発掘も進んで認識が変わったのかというとそこまででもなさそうな感じがする。

私は、沼沢地の人びとの中にシュメール人やバビロン人の末裔を見出すことが出来るのではないか、という質問をぶつけた。二人はこもごもに応えた。
「あるいはそうかもしれません。でも、そんなことよりも、彼等はイラク人です。」
「そしてアラブです。」

こっちは著者自身が地元住民と交わした会話で、以上2つのエピソードを勘案するとイラク人は古代文明にルーツはほとんど感じてないのかなと。
もちろんこの二人をもってしてイラク人の総意とすることはできないけども、
最近読み始めたイスラム史の本でもムスリムにとってはヒジュラ以後が決定的に重要だと書かれていて、あわせて考えると尚更そう感じる。
つまりは現在のイラクと例えばシュメール文明ではだいぶ断絶してるようで、
そういう本が無いのも現在のイラクにあたる地域の歴史を一冊にまとめる価値は薄いということなのかも。
もしかするとイラクに行けばそういう本も出版されてるのかもしれないし、洋書を当たればあったりするのかもしれない。
ただ日本では資料的にもビジネス的にも価値が無くて誰も出版しようとは思わないんだろう。
そう考えると僕自身も古代から現代まで全て網羅する必要なんてあるのかという気もしているが、
もう乗りかかった船だしというか既にイスラム史とか読み始めちゃってるし。
余談だけどこのことを考えてる時、イラクなんか「歴史」的に重要な地域だったからまだマシな方なんだろうなと思った。
日本との関係も薄く「歴史」的にもあまり重要度が高くない国の歴史を日本語で調べるのはなかなか困難なんじゃなかろうか。

イラク今昔物語

さてここまで書いてきたような事情の中でこの本はというと、なんと!シュメール成立から現代(1980年代)までを網羅した唯一の本なのだ!
と思いながら途中まで読んで、ササン朝(7世紀くらいまで)で終わってんじゃねーか!と気づいた。
まあそれでもメソポタミアという地域史に絞った本の中ではおそらく一番カバー範囲は広いんじゃないのかな。
構成的には時代ごとに章立てされていて、
その中で各王朝史や人物伝、発掘史、著者自身の遺跡探訪記などなどが古代近代現代3つの時間軸をあっちこっち行きながら語られていく。
ただ正直歴史部分に関しては結構概説的な感じで、やはり「紀行」だけあって歴史書というよりはエッセイ的な側面が強い。
筆致そのものは見事なもので、著者がイラクの地で見たもの感じたもの想像したものをまざまざと浮かび上がらせるかのように多彩な言葉を尽くしている。
例えばかつてササン朝の王宮であった場所についてはこう描いている。

今はすべての装飾を落としてしまった白褐色のレンガの大アーチの下に佇む。高さおよそ三〇メートル。かつて、この巨大な空間の奥に座し、その人物の存在そのものが四周の空気を触れれば音を立てるほどに緊張させていた諸王の姿がある。

ここだけ切り取ってもよく伝わらないだろうか、
今は色褪せ柱と一部を残すのみという姿になり果てた場所でかつて荘厳華麗な王宮が現実に存在したという事実を想うとベタに感動するだろうし、
そうした感動がこちらにまでひしひしと伝わってきたこともあって特に感銘を受けた部分だったのだけど、文章が巧いからこそそれが可能なんだろう。
こういう過去と現在の対比は多く見受けられて、先程述べた3つの時間軸の対比というのは本書ならではの特色であり醍醐味だと思う。
まあぶっちゃけちょっと難しい言葉とかあってその分読みにくさもあるっちゃあるんだけど。
端倪すべからざるとか初めて聞いて、教養の隔絶を感じましたね。
あと現代のエピソードでは、著者と現地のイラク人とのふれあいも多く描かれている。
中東というと安定してる国もあれば情勢が不安定な地域もあってという割と両極端なイメージでイラクは後者だったんだけど、
湾岸戦争以前の出版ということを差し引いても本の中のイラクの風景や人々はかなり牧歌的であることに驚いた。
まあ悪くは描かないという方針があったのかもしれないし、遺跡は各地方に散在していて都市部での話ではないことにも起因してるのかもしれないけど、
数多く描かれる現地住民とのやり取りはその一つ一つが和やかなもので、自分の中になんとなくあったイラクや中東、あるいはムスリムのイメージがガラッと変容した気がした。

メソポタミア戦国時代

最後に歴史部分に関して。
普通の歴史書に比べるとライトにしか描かれてないとはいえ、それでもメソポタミアを巡る各王朝の興亡史の熱さは十分に伝わってきた。
メソポタミアというと、シュメールに始まりバビロニアやらアッシリアやらと割に耳にする国も多いけど教科書での取り上げられ方はだいぶサラッとしている。
後の時代より相対的に資料が少なかったり、同じこと言うようだけど現代的にはそこまで重要性が高くないからなんだろう。
それでも細かに見てみるとメソポタミアに覇を唱えようと時代時代に多くの国家が群雄割拠していたことがわかる。
早期に文明が起こったことから分かるように、また肥沃な三日月地帯の名が示すように農耕に適したメソポタミアは歴史的な要衝として扱われる時代が長かったのだ。

農耕こそ人類生存のほとんど唯一の手段であった古代から中世にかけて、ひとたび沃野となったチグリス・ユーフラテスのほとりが、粗削りな自然の中に住む周辺民族にとり羨望のまととなり、絶え間なく侵略が繰り返されたことは、容易に理解できるのである。

実際に東のイラン方面は山がち、南と西には広大な砂漠が広がっているそうで、
そりゃあ多くの周辺民族がこんなオアシスに逃げ込もうとしてきたのも頷ける。
様々な都市国家の林立に始まり、アッカドによる初の統一が果たされた後は王朝が立っては倒れを繰り返していくのだけど、
結果としてメソポタミアには激しいダイナミズムが生まれ、その目まぐるしさはさながら戦国時代のようだった。
つっても紀元後の倍くらいのスパンの話を短くキュッとまとめてあるからというのはありそうだけど。
ただそうした動きの激しさもアッシリアによる大帝国が築かれるくらいまでの話で、
一国の版図が次第に広がるに連れて均衡状態が崩れていくと、群雄割拠ならではの魅力も当然薄れていってしまう。
またそれとともにメソポタミア自体の重要性も相対的に減っていき、結果としてなのか時代が下るにつれ一章ごとに割かれる紙幅も減っていく。
そして更にはイスラム教の出現があるわけで、本書がササン朝で幕を閉じているのは「メソポタミア文明」としてはそこで終わっているからということなのかもしれない。