サイダーのように言葉が湧き上がる

ビビッドな色使いにコンプレックスを持つ男の子と女の子、そして俳句。

予告を見た時からかなり惹かれるものがあったのだけど正直思ってたのとは違ったかな。

色彩設計もそうだし、キャラデであったり、マルチスクリーンの使い方だったりオシャレでポップで、画作りに関して言えば期待以上に楽しませてくれた。

特に地平線の引き方というのかな、空が凄く近く見えるレイアウトが結構あって、雲の存在感が凄く印象深かった。

このレイアウトと色使いは作品を強く特徴づけていたように思う。

一方で脚本については、序盤のスケボーによるドタバタ感を見て、あれこういう映画なのかと。

お互いコンプレックス持ちということで内省的にその点を掘り下げていくと思ってたのだけど、スマイルちゃん配信とかやっててクッソ陽キャだし、ストーリーにしてもとってもさわやかポップで。

監督のイシグロキョウヘイによると「リアルな言葉」がテーマで、二人の声と容姿というコンプレックスはそこから生まれたものと考えられる。

そしてその克服が自らの声と素顔で向き合うというテーマへ昇華される、そんな想定があったんだろう。

つまりコンプレックスを描くことが目的の作品ではなく、傷を舐め合うようなストーリーを期待していた僕としてはそこに大きな齟齬があった。

とは言え求めてたものとは違ってただけで、ボーイミーツガールとしての出来は良く、楽しい作品だったことには違いない。

スマイルにとってのマスクはコンプレックスの象徴だったわけだけど、現在の文脈ではマスクと言えばやっぱりコロナになってしまい、マスクをするスマイルは自然で、ノーマスクで会話をする登場人物たちへの違和感を覚えるという奇妙な倒錯も生じていた。

猫も杓子もマスクという光景はもはや当たり前のものになっていて、それに順応しきってる自分にも少し恐ろしさを覚える。

本作について言えば制作時期的に全員マスク姿にするってのは現実的じゃなかったってのはあるだろう。

そして実際に可能だったとしても、漫勉でも言われてたように現代劇であればノーマスクが説得力を弱めるのは間違いなく、同時に口元の芝居ができなくなるというジレンマも抱えていて、その辺りの判断は簡単ではなさそう。

何を表現することに重きを置くのかでアプローチの仕方も変わってくるにせよ、今後現代劇を描いたアニメではどんな表現が主流になっていくんだろう。