法事
昨日は軽井沢あたりまで赴いて法事に参加していた。
改めて葬式って苦痛だなと思った。
死者を弔う場としては大いに結構だと思うんだけど、ADHDとしてはジッとしてんのがほんとキツくて。特に誦経イベントが最難関パート。
あの苦痛を味わうたび各人各様の弔い方でええやんと思ってしまう。
というわけで今後も葬式イベントはできる限り回避していきたい所存です。
まあ角が立つのが嫌で結局は断りきれないんだけども。
最悪だったのが宿泊場所で、せんべい布団での雑魚寝だったため物音が気になるわ体痛いわ落ち着かないわでほとんど眠れず。しかも山の中なので寒くて寒くて。
もともと別に宿を取りたいとは伝えてたんだけど、押し切られる形でその場所で寝ることに。
せんべい布団って時点でまともに睡眠取れないと気づくべきだったんだよなー。
ようやく気づいたのは夜になってからで、「やっぱり今から宿取る!」などとワガママ言い出すも、足が無いし、みんなお酒も入っちゃってて一顧だにされず。
そして悪いクセが出てしまった。
こうやって我慢を超えた時にワガママが通らないと僕はどうなるか。いい年していじけて、相手を困らせようとする。
で、次の日火葬があったもの、頭痛になったって言って帰ってやる!とか拗ねた子供みたいな事を思いついて、実際に仮病して帰ってきました!(てへ)
「みたい」というか我ながら子供そのものだとは思うけど、まあこんなクソめんどくさい仕上がりになってしまった以上しょうがないんだ(開き直り)
ただあの睡眠状態で多くの人に囲まれて、更にはクソ寒い環境で1日乗り切るのは相当キツかったであろう事は想像に難くなく、経緯はどうあれ帰ってきて正解だったかもしれない。
参加してたら今頃新幹線の中で憔悴しきってたんじゃないだろうか。
でも遺族の気持ち考えたらやっぱ我慢するべき場面だったなと今になって反省している。
まあその遺族に対して微妙な感情があったからこういう行動を取ってしまったところは大いにあるし、そう単純に割り切れるところでもなかったりする。
それにしても昔はここまで眠れない人じゃなかったんだけど、明らかに悪化しとるよなー。
もっと遡れば子供の頃なんかもっとどこでも眠れてたというのに。
写真
軽井沢ってことで風光明媚でもあり、新幹線からの眺めはいちいち美しく、今回行った場所も山の中にあって雪景色が見られたり近くに清流が流れていたりといい所だったんだけど、撮った写真はこれだけという大失策。
煌々と燃えている。温い。 pic.twitter.com/6KcBjxYKoE
— ぴょん (@pyonkou) 2020年12月22日
新幹線からも一応撮ったんだけど、窓に顔反射してんじゃねえかと怖くてツイッタには上げにくく。
逆転裁判2
現地では準備を手伝うくらいしかやる事がなく、余った時間で逆裁2をクリアしていた。
最後の話は熱かったですね。
真犯人が別にいたり、ミツルギとの共闘があったり、信念と真宵の両方を守るために綱渡り的に奮闘するナルホドくんの姿が描かれたり。
ただ真実が全て明らかになってる中で引き延ばし目的で尋問していくってのはちょっと冗長ではあった。
全体的にはやっぱ前評判通り難しかったもの、ちゃんと推理すれば矛盾点は見えてくるようになっていて、謎を解く面白さと解けた時の喜びは前作の比ではなかった。
ただ20回はゲームオーバーになっていて、その度に同じパートを繰り返す苦痛が遥かにそれを上回っていたけど。
それでゲームに対する意欲自体が萎んでしまいクリアまでに想定以上の日数が掛かってしまった。
でも昨日ようやく気づいたんだけど、中断機能って普通にセーブだったんだね……。
選択肢の直前でセーブ可能だったのかよと。あの無駄な時間はなんだったんだよと。前回クソ仕様だとまで言い切っちまったじゃないかと。
まあそのお陰でノーコンティニュー特有の緊張感を味わうことは出来たけど。
でもやっぱかなりのストレスだったし弊害のが大きかったかな。
いわゆるステートセーブが中断という名前で出てきたのが98年くらいだから名称としてまだデファクトスタンダードとはなってなくて、仕方ない側面もあったのかなあ。
このまま3始めようかとも思ったんだけど、結構お腹いっぱい感あるしまた期間空けてでいいかなと。
勉強
そうだ。勉強について書き忘れていた。
結局おとといは出かける準備に追われて復習すら完遂できなかった。
というのは言い訳で実際には結構タラタラしてたから終わらせようと思えば終わらせられたんだよね。
というわけでここでゲームオーバーとします。
……なんて事になるわけがなく、スタート前って事でノーカンやノーカン!
というかその種の条件付けってそんな効果的じゃなくて、そもそもまず「継続できてない=キャパオーバー」って事実を思い出すべきだったなあと。
そんな事書いたのが3ヶ月くらい前なわけだけど、ご覧のように相変わらず今も停滞している。
結局、勉強量減らすって判断が出来ないんですよね。で、辛くて続かない。
自らのキャパシティを見誤ってるってのもあるけど、年齢の問題から来る焦りも大きい。
勉強量減らせば当然その分目標からは遠のくわけだから。
でも、出来ないもんをやろうとしてきたのがこの2年半だっただろうがっ!って話を思い出そう自分。
ここらで自らのキャパシティをしかっと見極めるんや。