いつもならアニメの感想はツイッターに垂れ流すのだけど、思ったところも多くて上手くまとまらないし久々にブログでだらだら書いてみることに。
鑑賞後の第一印象としては「キャッチーじゃなくなったなあ」だった。
のだけど考えてみたら「君の名は。」が新海作品としては突き抜けてキャッチーだっただけで、「天気の子」だってそれに次ぐくらいにはポップな作品だった。
じゃあ前作と比べてどの辺がキャッチーじゃなくなったんだろう。
晴れ女能力が入れ替わりに比べると地味って点も挙げられそうだけど、個人的には作品が陰翳を帯びた事がより印象的だった。
「天気の子」は全体的にどこか暗い。
新海誠の代名詞とも言える美しい背景美術からして今作は結構異質で、例えば新宿の雑多できったねー場所とかを描いている。
今までも廃墟なんかは描かれてきたもの、それは滅びの美学じゃないけど、間違いなく美だった。
でもマンボーとか、バニラ街宣車とか、東京のドブ臭さが立ち込めてくるような風景を美しいと感じる人はまずいない。
というよりネガティブな印象を受ける人のほうが多いだろう。
視覚的にそうした泥臭いものが多く描かれる一方で、人間模様もまた泥臭い。
主人公は家出少年、ヒロインは保護者不在で弟と二人暮らし、脇を固めるのが親権調停中でうだつの上がらないおっさんにお祈りされまくってる女子大生と、今までにない卑近な設定づけがなされている。
また暴力描写も圧倒的に増えたし、ヒロインは体を売ってまで糊口をしのごうする。
そして完全なハッピーエンドとは言えない形で物語は幕を閉じる。
暗い。設定だけ見るとリアリズム小説みたいでめっちゃお通夜。
その実としては大部分がコミカルに描かれていることでお通夜みたいなことには決してなってない。
それでも全体としてはどんよりとしている。作品通して降り続ける雨が象徴するかのように。
今回、こういう泥臭いものを描くことが挑戦の一つだったんだろう。
実際そんなようなことは下のインタビューでも語っている。
あるいはずっと綺麗なものを描いてきた反動みたいな部分もあるのかもしれない。
一方でその試み自体はあまり上手くいってるようには見えなかった。
主人公以外は設定を取ってつけたようでなんか薄っぺらいのだ。
なぜだろう。
多分新海誠という人はリアルな人間を描けないんじゃないんだろうか。
これは監督がオタカルチャー的な文脈から出てきた人であることが関係してるように思う。
新海監督がこれまで描いてきたキャラクターは人間味あふれるというよりは多分に記号的で、この種の記号性の強いキャラ造形は深夜アニメのそれにかなり近い。
例えば高井刑事は穂高に対して非常に高圧的かつ抑圧的、更には無理解な存在として描かれている。
単に物語を盛り上げるためにそう描かれている側面が強く、「敵」として非常に記号的な存在と言える。
でも実際の警官もこんな感じか。
こうした記号性の強さゆえ新海誠の描くヒロインはキモイキモイという声が割に見られるんじゃないかとも思う。
なおそういう人たちに間違えて深夜アニメを見せた日には2秒で憤死してしまうから気をつけよう。
監督のオタカルチャーへのシンパシーは声優に対するスタンスにもよく見えてて、
他の一般向けアニメ映画では見られないほどに売れっ子声優がいい役をもらってるし、劇中で声優ネタで遊んでたのが何よりの証左と言ってもいいかもしれない。
だからリアリズムに向いてないは極論すぎるけど、人間臭いキャラクターを描くのが不得手なんじゃなかろうかと。
そうした記号性の強いキャラに現実的な設定を乗っけたもんだからミスマッチが起きて脇役たちに深みがあまり感じられなくなり、
しかもわざわざスポットが当てられたことで尚更薄っぺらくなってしまったのではないか。
正直言うと「星を追う子ども」に出てきたおっさんのほうがよっぽど魅力的だったと僕は感じる。名前覚えてないけど。
かと言ってじゃあつまんなかったのかと言えば面白かった。
新海誠が新海誠やってるんだからファンにとっちゃ面白いに決まってるのだ。
ボーイミーツガールして、いちゃこらやって、喪失が描かれて、青春の疾走して、ヒロイン復活して。
そこに「君の名は。」で確立したストーリーテリングの術が乗っかれば絶対面白い。カレーハンバーグ弁当みたいなものである。
序盤こそ上の方に書いたような理由でさほどのめり込めなかったけども、中盤以降徐々に不穏な空気が高まって、ついにはヒロイン消えちゃって、終盤は警察に追われながらヒロインを救いに行くためオトナ帝国やってと、
観る側をグングン引っ張り込んで目の離せない展開に持っていってしまうのはお見事だった。
欲を言えば銃ぶっ放した後に監視カメラのカット入れるとか、前半からもっと不穏さを漂わせてくれるとなお良かったけども。
というか物語構成だけ見ると「君の名は。」と全く一緒なんですよね。
いや「喪失が描かれて」までは初期作品からほとんどずっと繰り返してすらいる。
それでも焼き増し感はないのが「脚本家」新海誠の巧さなんだと思う。
そもそも上のインタビューでも語ってるように批判に応えたいという想いもあったようで、監督自身あえて「君の名は。」の延長線上の作品としていた。
全くの新機軸のつもりでやったのであればわざわざ「君の名は。」のキャラを登場させる理由は無かったわけだし、
世界を代償にヒロインを救うという前作とは正反対の結末をアンサーとして示した点からもそう解釈できる。
単純な答えではあるけど、「ああセカイ系って自己陶酔的でいいな、新海誠っていいな」ということも再認識させられる結末だった。
穂高と陽菜の「セカイ」こそ至高であり、「世界」はそれを理解せず破壊しようとさえする。
そしてさっき触れた高井刑事は「世界」そのものでもあったんだろう。
この「なんで世界は!大人は!俺を理解してくれないんだ!!」みたいな永遠の反抗期のような新海誠の感性。
同じおっさんながらすごく共感してしまうけど、と同時に未だにこんな中二みたいな考え持ってんのかよ引くわみたいな感情が同居している。
自身もまた同じ感情を引きずり続けることは棚に上げて。
その辺の感じを上手に語っているphaさんの感想ツイートをたまたま見かけたので引用したい。
今日『天気の子』を見てきて、新海誠の作品を見るのは初めてだったんだけど、新海誠って気持ち悪いな……と思った。演出や映像はすごいし面白かったけど。好きな人はこの気持ち悪さが好きなんだろう
— pha『がんばらない練習』7/24 (@pha) 2019年8月1日
僕や彼女は純粋なのにそれを誰もわかってくれないみたいな感じとか、モノローグとか、現実感のない十代男子の妄想みたいな感じが、ちょっと自分の年齢では乗るのがつらいなと思った。現実感がないのに背景や世界は現実的なのが面白い
— pha『がんばらない練習』7/24 (@pha) 2019年8月1日
ひたすら俺の気持ちが一番大事なんだ、俺の気持ちを見ろ、みたいな感じがすごいなと思った。気持ちだけで世界を作って気持ちだけで動かしていく感じ
— pha『がんばらない練習』7/24 (@pha) 2019年8月1日
この一連の感想は新海誠、ひいてはセカイ系を受け付けない人たちの気持ちを簡潔に言語化していて、前述の記号性の強さと共にこの自己陶酔的な部分に拒絶反応を引き起こしているってことなんだろう。
でもそんな作風の映画がメガヒットを飛ばして大衆性を獲得した事実にも今更ながら驚きを覚える。
さて最後に、新海誠の次回作はどうなるのだろうか。
「君の名は。」を見た後に気になってたのが、集大成的な作品を作ってさあ次はどうするのかって事だった。
それを受けての「天気の子」で改めて実に新海誠らしい作品を提示したことを考えると、これからもずっと同じテーマで作品を作り続けるのだろう。
ファンとしてはそこはなんとも複雑なところで、迷走はないだろうという安心感と変化が期待できないことへの残念さが入り混じる。
まあでもやっぱりそんな山田洋次みたいなことにはならず、いろんな挑戦して殻をぶち破ってほしいかな。
おまけじゃないけど、作品の持つ陰翳に関して。
「君の名は。」が特別だっただけで新海作品にはむしろ共通して陰翳があったと感じる人も少なくないんじゃないかと思う。
その点を従来作品と比較しながらもう少し掘り下げたくて、
従来作品と「天気の子」では暗さの質が異なっていて、「君の名は。」以降フィジカルな表現が増えたことでウェッティになった、
というような事を考えてたんだけど、結局上手くまとめられなかった。